カバー画像「つくば北条さんぽ」
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道標や土蔵造りの町並みなど、江戸時代の面影を残す歴史の町。
「北条」ならではの史跡や文化財をめぐってみませんか?
No.01 つくば道
江戸時代に整備された、筑波山への参詣道「つくば道」
筑波山は江戸城からみると北東の方角にあり、鬼門にあたります。かつて徳川家康は「鬼門の護り」として筑波山をあがめ、中禅寺(現在の筑波山神社)を祈願所に定めました。
三代将軍家光は寛永3年(1626年)、堂社を一新する工事にとりかかりました。このとき、資材運搬路として整備されたのが「つくば道」です。後に中禅寺への参詣道となって江戸方面から多くの参詣客がこの道をたどり、筑波山に詣でることになるのです。
筑波山神社まで1里(約4km)の起点、北条仲町には高さ3mを超える「つくば道道標」が立っています。途中、古い町並みが残る神郡(かんごおり)に入ると筑波山は正面にせまり、まもなく急坂の山道に差しかかります。中腹の石鳥居をくぐると、これより上はかつては石段が続いていましたが、昭和40年代に舗装されました。神社直下にわずかに残る石段は往時の風景を忍ばせてくれるばかりか、道中にたくさんの史跡が残されており、いにしえの余韻に浸ることができます。
つくば道は、昭和61年(1986年)、日本の道百選に名を連ねました。首都圏近郊の手軽なハイキングコースとして、つくばエクスプレスの開通とあいまって近年、多くのお客様が訪れています。
現在のつくば道道標
神郡の街並と筑波山
中腹の石鳥居から見る筑波山
No.02 多気義幹
地元で「たきたろさま」と呼ばれ、親しまれる多気城主「多気義幹」
つくば北条の歴史を語る上で決して外せない一人の人物がいます。
多気城主6代常陸大掾(ひたちだいじょう)、多気義幹(たけのよしもと)です。
常陸北条は平安時代から鎌倉時代初期まで約250年間、多気(たけ)氏が支配していました。この多気氏は平将門を滅ぼした平貞盛の子孫であり、一時は常陸国(今の茨城県)の大半を領有するほどの権勢を誇っていました。平貞盛は桓武平氏の祖であり、平清盛もその子孫です。
6代目の多気義幹は、多気太郎(たけのたろう)と名乗り、北条の町を見下ろす多気山(たけやま)(地元では城山(じょうやま)と呼ぶ)に居城を構えました。
当時、大通りの南にうがった裏堀は今日まで流域の田畑をうるおし、また、防火用水としても地域に多大な恩恵を与えてきました。
多気太郎は建久4年(1193年)、源頼朝の命により非業の最期を迎えたとされ、地域の人たちは命日の7月7日に万灯会を催し、その霊を弔ってきました。地元では「たきたろさま」と呼ばれて親しまれる、墓と伝えられる五輪塔が残されています。
多気太郎五輪塔
裏堀